- hiramura1
“繊細”「わかってほしい」子ども時代を引きずる人々
更新日:4月18日

< 愛着障害からの克服:アタッチメント 愛着 >
それは、
「私だって、寂しい」だった。
「私だって、寂しいよ」
「私だって、悲しいよ」
「私だって、傷ついてるよ」
「私だって、私だって、私だって・・・・!!!!!!!!!」
でも、それが、言えなかった。
「私だって」は、ぐっとこらえて、飲み込んだ。
もう、何百回も、何千回も、何万回も、飲み込んだ。
だから、私、怒ってたんだ。
「私だって、私だって、私だって!!!!!!!!!」
「私の方が、私の方が、私の方が!!!!!!!!!」
そうやって、怒ってるのが、心の奥から伝わってくる。
泣いたっていいんだよって、
悲しんだって、いいんだよって、
あのときの私に、
そう言ってくれる人、誰もいなかった。
泣かせてくれる人、誰もいなかった。
誰も私のほんとのほんとの気持ちを、
一番言うことができなかった気持ちを、
一番言いたかった気持ちを、
わかろうとしてくれなかった。
そのことに、私、ずっと、怒ってたんだ。
「頑張れ」も、
「頑張ってるね」も、
「偉いね」も、
「愛はすごいね」も、
「愛は強いね」も、
そんなの全部全部、いらないから、
「泣いたらだめ。笑顔でいたら、幸せがくるから」
そんなのどうだってよくて、
私は、ただ。
ただ、「さみしいね」って、言ってほしかった。
ただ、「さみしいよ」って、たくさん、泣かせてほしかった。
ただ、「さみしいね」って、わかってもらいたかった。
私を腕いっぱいに抱きしめて、
「さみしいね」って、受け止めてくれる人。
その腕の中で、思いっきり、泣かせてくれる人。
どんなに泣いたって、私を優しい目で見つめてくれる人。
寂しくなんか、ないもん、って、
涙を目にいっぱいに溜めながら、
全然平気だもん、て、
声を震わせながら言う、
私の強がりさえ、受け止めて、包んでくれる人。

それが、私にとっては、たったひとり、お母さん!!
私は、そう思ってたんだ。
だから、私が、今、すべきなのは、
たったひとりで、
泣くこともできずにいる、
あのときの私のところに駆けつけて、
一緒に、泣き喚くことだと思った。
目を閉じて、想像する。
私は、走ってた。
一秒でも早く、早く、会いにいかないと。
そう思った。
あの日の自分を見つけて、
思いっきり息を吸って、
私の名前を叫ぶ。
泣いていいよ!!!!!!!!!!
あんたは、泣いていい!!!!!!!!
怒っていい!!!!!!!!
叫んでいい!!!!!!!!!!
私は、小さな私が言えなかったことを、
一緒に、叫んでいく。
小さな私が、どれだけ我慢してたか。
こんなにも、我慢してたんだね。
私が、私に、我慢させてたんだね。
だから、怒ってた。
わかってもらえるわけがない、
っていう悲しみは、
私がずっと、溜めてきた感情たちだった。
そして、本当は今にも溢れだしそうな
「わかってほしい」を隠すために、
「わかってたまるか」
「あんたなんかに私の気持ちわかってたまるか」
「私は違う」
「私は、みんなとは違う」
「わかってなんて、もらいたくもない」
そうやって、自分の本音は、
本当に限られた人にしか見せずに、
自分には、孤独が似合う、みたいな顔をして、
一匹狼を、してたんだと、わかった。
人一倍、わかってあげたいと願うくせに、
私の心は、頑なに、開かなかった。
本当にいいたい気持ちを、
わかってもらえないあの寂しさを
もう一度味わうくらいなら、
どうせわかってもらえない。
…
…
…

*人生を左右する「愛着」の問題。
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安全基地を見いだせるかどうか?
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< 上の事例はカウンセリングの1ページ 、あなたは自分を大切にしていますか?>
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